老化・介護 闘病記 遠距離介護体験記

遠距離介護体験記(1)~突然、介護の当事者になって見えてきたこと

遠距離介護体験記(1)~突然、介護の当事者になって見えてきたこと
コラム・体験記
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「お母様が倒れました」

人生100年時代。介護を“他人事”に感じてきた筆者は、心構えがないまま突然、「当事者」となった。都心から母が住む地方に通いながらの介護で見えてきた現実を知っていただきたい。

いま、静岡県に住む80代半ばの母親の面倒を見るため、月に3~4回通う日々を送っている。3年前に突然父が亡くなり、母は1人暮らしだ。

国内では高齢となった親の介護を同居していない家族が担う場合が増加している。「国民生活基礎調査の概況」(厚生労働省)によると、2016年には介護を必要とする者がいる世帯で単独世帯は20.2%だったが、19年は28.3%と右上がり。それに伴い別居家族による介護も、12.2%(16年)から13.6%(19年)と増えている。別居家族による介護が全て遠距離とは限らないが、地方の高齢過疎化や若年世代の都市部への流出を考えると、遠距離介護の増加は容易に推測できる。

昨年の5月の早朝、実家に向かう新幹線の車中で、母を担当する介護支援専門員(ケアマネジャー)から「お母様が倒れていました」というメッセージが届いた。驚いてデッキに移って電話する。週1回、掃除をお願いしている訪問介護員(ホームヘルパー)が朝8時に訪問した折、仰向けに倒れている母を発見したという。幸い、母は意識がはっきりしていたため、  「前の晩の8時頃、転んで痛みで動けなかった」と、自ら説明したという。

倒れた直後、よく利用しているAI音声認識サービスを搭載したディスプレイ付きのスマートスピーカー(通称アレクサ)に呼びかけ、ビデオ通話で私に連絡しようと試みたそうだ。だが、転んでか細くなった母の声はつけっぱなしのテレビ音声にかき消されたらしい。固定電話にも手が届かない。夜が明け、ヘルパーか娘が来るのをひたすら廊下で12時間も待っていたのだ。

高齢者の緊急搬送、約8割が転倒事故

温かい気候が幸いした。私が実家に着くころには、母は救急車に乗せられていた。コロナ渦中だったこともあり、受け入れ先の病院がなかなか決まらない。救急隊員が懸命に、次から次へと病院への受け入れ要請を続ける。40分ほど経過、ようやく母が入院したことがある大学病院に決まり搬送された。

救急入り口からすぐに検査室へと運ばれ、大腿骨を4カ所骨折していて手術が必要と診断が下った。ほっとしたのも束の間、「こちらは満床で入院を受け入れられないため、近隣の国立病院で手術を受けてほしい」と言い渡される。さらに2時間近く待機し、再び救急車に乗って、国立病院へ。また検査のやり直し。母が病室のベッドに落ち着いた頃には、日が沈みかけていた。

救急車が自宅に駆け付けてから7時間以上。もっとたらい回しにされる人もいるのだろう。こうした報道はたびたび目にしてきたが、家族として現実に直面すると、母の容体が心配になり、気ばかり焦る。

東京消防庁による都内(稲城市、島しょ地区を除く)のデータでは、15年から5年間で30万人以上の高齢者が搬送され、うち約8割が転倒事故という。また、内閣府の「高齢社会白書」(21年版)によると、65歳以上の要介護者の介護が必要となった主な原因は、認知症、脳血管疾患(脳卒中)、高齢による衰弱に継いで4位が骨折・転倒で13%となっている。女性に限ってみれば、1位が認知症(19.9%)で、次いで骨折・転倒(16.5%)である。

大腿骨骨折後に骨折前の状態に戻れるのは50%、5年生存率は50%という調査結果もある。転ぶことはQOL(生活の質)が著しく低下するだけでなく、寿命にもかかわる。親の介護ではとくに注意を払いたい。

執筆者
医療ジャーナリスト
宇山 公子
静岡県出身。会社員、新聞記者を経てフリーライターに。介護、健康、医療、郷土料理、書評など執筆。日本医学ジャーナリスト協会会員。