沖縄戦後史そのものの人生だったミュージシャン・川満勝弘さん

沖縄戦後史そのものの人生だったミュージシャン・川満勝弘さん
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ようやく観光業界がコロナ前のにぎわいを取り戻してきましたね。僕もそろそろ大好きな沖縄旅行をしたいところ。特に行きたいのは、沖縄本島中部にあるコザの街です。

初めてコザを訪ねたのは一昨年2021年の春。僕のドキュメンタリー映画「けったいな町医者」の舞台挨拶で、シアタードーナツという素敵な映画館に呼んでもらったのです。独特の色を持つ街の風景の虜(とりこ)になりました。余談ですが、地元コザの人に僕は玉城デニー知事に間違えられました。

コザは、1970~80年代にかけて、県内一の繁華街として栄えた場所。嘉手納基地に隣接していたことから多くのライブハウスやクラブが作られ、沖縄とアメリカンカルチャーが融合した「オキナワン・ロック」が生まれました。

そのオキナワン・ロックを牽引(けんいん)し続け、県民に愛されたミュージシャンの川満勝弘さん、通称「ヒゲのかっちゃん」が4月20日、沖縄市内の自宅で死去されました。享年78。死因は明らかにされていませんが、かねてから糖尿病を患い、数年前からは合併症で目が見えなくなっていたそうです。

糖尿病の合併症である網膜症で失明する人は少なくありません。血糖が高い状態が続くと網膜の細い血管が詰まってしまうのです。この合併症の恐ろしいところは、自覚症状がほとんどないまま、どんどん進行していくこと。わが国の中途失明原因の2位であり、糖尿病と診断されてから10年たった人の半数以上にこの症状がみられるというデータもあります。

終戦の1年前に宮古島で生まれた川満さんは10歳のとき(1954年)に母親の働くコザへ引越しました。母親は、米兵が出入り可能な「Aサインバー」を開き、彼を育てました。そして川満さんは20歳のときに、「ウィスパーズ」というエレキバンドを結成し人気を博します。

その後、本土復帰の1年前に「コンディション・グリーン」を結成。「紫」というバンドとともに、オキナワン・ロックを全国的に広めました。ベトナム戦争時代には、前線に投入される前の荒れ狂った米兵たちも、彼らの音楽を聴きに来ていたそうです。

バンド名の「コンディション・グリーン」は、米軍用語。米軍に対する沖縄の市民感情が悪化した際、米兵らの繁華街への外出を禁止するときに使われていた言葉だそう。どんな想いで川満さんがこの言葉をバンド名にしたのかはわかりませんが、音楽を通して米国と対等に付き合おうとする気概が感じられてなりません。彼の人生は、沖縄戦後史そのものでしょう。

今度沖縄に行くときは必ずやコザのライブハウスに行って、川満さんが残された音楽を堪能して偲びたいと思います。

解説・執筆者
長尾クリニック院長
長尾 和宏
医学博士。東京医大卒業後、大阪大第二内科入局。1995年、兵庫県尼崎市で長尾クリニックを開業。外来診療から在宅医療まで「人を診る」総合診療を目指す。健活手帖の連載が『平成臨終図巻』として単行本化され、好評発売中。関西国際大学客員教授。