Dr.ムトーの「転ばぬ教室」(10)~転んだら起きればいい、を「骨折のプロ」が伝授
医師、東大名誉教授 武藤芳照

これまで転倒の怖さと、どうしたら転倒を防げるかをお伝えしてきましたが、転倒以上に怖いのが、実は「転倒への恐怖心」かもしれません。
ある85歳の女性は、転倒による骨折を経験し、回復したものの、さらなる転倒を恐れて散歩や外出を制限したために自信も意欲も低下し、車いす生活となりました。
転倒を経験した人にとって、転倒はつらく、怖いものです。周囲を気遣う人ほど、また転倒して家族に迷惑をかけたくないと考えます。しかし、「Use it or lose it」というように、人の体は、「使わなければだめになる」。長いコロナ禍で、身体の変化を感じている人はたくさんいるでしょう。
1997年に東京厚生年金病院(現JCHO東京新宿メディカルセンター)で私が始めた「転倒予防教室」には、転倒予防のイメージキャラクターにもなったヒロインがいました。当時82歳だった女性で、のべ5回の骨折、2回の手術を経験した上で大腿骨近位部骨折後、杖をついて、教室にやってきました。愛称は「すみちゃん」。ご本人の努力はもちろん、娘さんの指導や支援、協力のおかげもあって、訓練の成果が現れ、歩く速度は教室に通う前の2倍になりました。杖を忘れるほどに回復したのです。
すみちゃんはよく言っていたものです。「おしゃれをして銀座に出かけたい」と。明るく前向きな姿勢と、ユーモアとウイットを大事にする、自称「骨折のプロ」は、私たちに大事なことを教えてくれました。
人生、七転び八起き。
転んだら、また起きればいい。
体が病んでも、脚の骨を折っても、心まで転んだり折らないようにしたい。転倒しないに越したことはないけれど、転んだら立ち上がればいい。その気持ちを大切にしてほしいと思います。
最後に。転倒したときには、「振り返り」が大事です。なぜ転んだのか。脚が悪くなってきたからなのか。忙しくて疲れがたまっていたからなのか。運動不足だったのか。本人とご家族で振り返って、転倒物語を語りあってみてください。
転倒を機に自身を顧みる営みが回復をもたらし、再発予防につながり、新しい生活を生み出します。理由がまったく見当たらない場合は、微小脳梗塞や一過性脳虚血発作など病気が隠れている可能性があるので、医師に相談したり、検査しましょう。
人は転ぶもの。そして人は転倒から多くを学ぶことができるのです。