高血圧 医師・名医 「かかりつけ医」が見つけた“重大な異変”

「かかりつけ医」が見つけた“重大な異変”③~重度の息切れは難病指定の病気だった

公開日:2023-03-31
更新日:2023-04-03
「かかりつけ医」が見つけた“重大な異変”③~重度の息切れは難病指定の病気だった
病気・治療
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診察や検査で、別の思わぬ病気が見つかることがある。その変化に気づきやすいのは長年、同じ患者を診続けている「かかりつけ医」だ。がんや心臓病のような大きな病気を早期発見できて命が助かった人、反対に発見が遅れて後悔している人…。明暗を分けた実例を紹介する。

「最近、歩くとすぐに息切れがするんです。先生、何とかしてほしい」

清水千代さん(80代・仮名)は、東京の城東地区で地域に根ざしたかかりつけ医として知られる小野内科診療所(東京都江東区)の小野卓哉院長にこう泣きついてきた。

清水さんは高血圧症の持病を抱え、同診療所にずっとかかっていた。高齢になれば程度の差はあるにせよ、歩くと息切れがする人は多いだろう。単なる加齢という原因もあるが、病気だとしたら、運動不足、心不全や慢性閉塞性肺疾患(COPD)が代表例として挙げられ、この数年なら新型コロナも考えられる。

だがその症状は初めてではなかった。以前にも同様なことがあり心臓に雑音も聞こえることから、小野医師は心臓超音波検査を行い弁膜症の診断のもと、薬を調整して様子をみていた。

小野医師は清水さんに対し、再度、心臓超音波検査を実施した。「大動脈弁狭窄症による左心不全」の可能性を考えたが、病気の程度と症状のバランスが合っていない気がした。かかりつけ医としての役目はここでいったん終了して、次は連携病院へ患者を紹介することに。近隣の総合病院への紹介状を書いて清水さんに渡した。

総合病院で各種検査を受けた清水さんの病名は「閉塞性肥大型心筋症」だった。

超音波検査で大動脈弁狭窄症とよく診断間違いをする病気だが、「総合病院の担当医は違う薬を追加してきました」と小野医師。

清水さんは薬物治療を継続するため、小野医師のもとに戻ってきたが、診察室の清水さんはますます息切れが強くなり、歩けなくなった。「これはおかしい」と小野医師は疑問を抱いた。閉塞性肥大型心筋症ならば、都内の大学病院にカテーテル治療の第一人者がいる。その大学病院宛の紹介状を書いた。小野医師の疑問が治癒に向けての分岐点になった。

大学病院では「閉塞性肥大型心筋症にしてはおかしい」と判断して、数カ月にわたって各種の検査を実施した。そこで判明した病気は「特殊な肺高血圧症」だった。

当初、左心不全による息切れと決めつけていたが、肺高血圧症診断の手がかりは、右心不全が進んでいたことに注目した点だった。

肺高血圧症は国内では年間5000~6000人が発症。著名人では、一青窈さんもその一種の肺動脈性肺高血圧症(PAH)にかかったことが知られている。手遅れになると命を落とす病気で、難病指定だ。難病指定となれば患者の心も暗くなるが、薬の補助が得られるという面もある。「うちの診療所に戻ってきて、すぐに難病登録をしました」(小野医師)

清水さんは小野医師の父・清四郎さんの代からの患者だという。風邪をひいたといえば薬を出してもらい、血圧が高くなったといえば、その治療薬を出してもらうなど、ずっと診療所を頼りにしてきた。

担当医は父からその息子に引き継がれた。今回、清水さんの正確な診断がつくまで少し時間を要したが、その橋渡しをしたのが小野医師だった。患者に寄り添うとはよく聞く言葉だが、それを実践するには患者への思いやりと責任感がなければ成り立たない。

「苦しい、がまんできない」と訴えていた清水さんの症状は改善に向かっている。大学病院には定期的に通院し、自宅で酸素療法を受けている。そのフォローも小野医師が担っている。

小野卓哉(おの・たくや)

1992年、日本医科大学医学部卒。同大学大学院医学科修了、東京医科歯科大学大学院MMA医療管理学コース修了。日本医科大学付属病院循環器内科を経て2006年に小野内科診療所に勤務、16年に院長に就任。日本内科学会総合内科専門医、日本循環器学会専門医など。医学博士。

「健活手帖」 2023-02-09 公開
執筆者
医療ライター
佐々木 正志郎
医療ライター。大手新聞社で約30年間、取材活動に従事して2021年に独立。主な取材対象はがん、生活習慣病、メンタルヘルス、歯科。大学病院の医師から、かかりつけ医まで幅広い取材網を構築し、読者の病気を救う最新情報を発信している。医療系大学院修士課程修了。