追悼

いつまでも「安全地帯」のメンバーだった~ドラマー・田中裕二さん

いつまでも「安全地帯」のメンバーだった~ドラマー・田中裕二さん
コラム・体験記
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〈さよならゲーム〉で「ひとりぼっちのエール」


あれは2019年11月16日。世界がまだコロナを知らなかった秋。安全地帯が初めて甲子園球場でライブを行いました。タイトルは〈さよならゲーム〉。観客3万8000人。僕は3塁側スタンド席前方で伝説のライブを目撃しました。

刻一刻と空が色を変え夕闇に染まる甲子園に玉置浩二さんの歌が響き渡り、気づいたら泣いていました。あの日の感動から僕は、自分のドキュメンタリー映画『けったいな町医者』の挿入歌に「ひとりぼっちのエール」を使用させていただきたいとお願いをしました。

安全地帯というバンドは、本当に仲がいい。10代の頃から北海道で苦楽を共にしてきたメンバーが、還暦を過ぎても戦友のように一緒に音楽をしていることに、羨(うらや)ましささえも感じます。しかしこの〈さよならゲーム〉直前、ドラムスの田中裕二さんが体調不良のためライブ不参加という知らせがありました。

 

そこにいなくてもドラムが聴こえる


あれから3年。22年の11月、僕は再び安全地帯40周年アニバーサリーコンサートに東京まで足を運びました。

より艶を増した玉置さんの声、そして円熟味を増したバンドの音。いやあ痺れた! だけどそこに田中さんは不在。と思いきや、スクリーンに彼が映し出され、まるで別の場所から生演奏しているような演出。そして玉置さんが声高らかに「安全地帯ドラムス! 田中裕二!」と叫びました。僕はまた、泣いてしまった。

 

40周年ライブを見届け旅立ち


それから1カ月もたたない2022年12月17日。田中裕二さんの訃報がありました。まるで40周年ライブの大成功を見届けて、ほっとされたような旅立ちでした。享年65。詳細は明らかにされていませんが、19年に脳内出血を発症してから闘病を続けられていたようです。

脳内出血は、脳内の血管が破れた状態のことをいいます。出血した場所によって、手足の麻痺(まひ)や、言語機能や視覚に支障が出てしまいます。高血圧や糖尿病のある人のリスクが高いことがわかっています。一度発症すると、数年内に再発するケースが多く、手術で完治することはなかなか難しい病気です。

田中さんが闘病された3年間はコロナ禍の真っただ中。いまだに面会制限のある病院が多くあります。このコロナ禍のお看取りを、作家の柳田邦男氏は、「さよならのない別れ」と名付けました。だけど田中さんは、40周年記念のあのコンサート会場に、確かにいました。そして、大みそかのNHK紅白歌合戦に安全地帯が出場。田中さんのドラムの音が聴こえましたよね? NO MUSIC、NO LIFE。本年も素晴らしい音楽とともに生きていきたいです。

「健活手帖」 2023-01-09 公開
解説・執筆者
長尾クリニック院長
長尾 和宏
医学博士。東京医大卒業後、大阪大第二内科入局。1995年、兵庫県尼崎市で長尾クリニックを開業。外来診療から在宅医療まで「人を診る」総合診療を目指す。健活手帖の連載が『平成臨終図巻』として単行本化され、好評発売中。関西国際大学客員教授。