「戦争を知っている奴が世の中の中心である限り、日本は安全だ。戦争を知らない奴が出てきて日本の中核になったとき、怖いなあ」
これは田中角栄さんが生前よく言っていた言葉です。そして今、戦争体験を語れる人がどんどん鬼籍に入ってしまう。昨秋、僕は広島平和記念資料館を訪れて、その危機感を肌で感じました。二度と戦争を繰り返してはならないという言葉に説得力を持たせられるのは体験者のみなのです。残念ながら。この人の訃報に接してさらにそんな想いを強くしています。
劇団民藝の俳優として数々の舞台に出演され、さらに声優やナレーターとしても活躍し続けた奈良岡朋子さんが、3月23日に都内の病院で亡くなりました。享年93。死因は肺炎との発表です。
冒頭に田中角栄さんの言葉を紹介したのは、おそらく奈良岡さんも同じ気持ちでいただろうと想像したからです。奈良岡さんは晩年、井伏鱒二が原爆の恐ろしさ、悲惨さを描いた小説『黒い雨』の朗読をライフワークとしていました。
若い頃は、辛い体験がフラッシュバックして語る気持ちになれなかった。しかし戦争を知っていた多くの先輩方が亡くなり、自分が語り継ぐ番になったのだと、10年ほど前にラジオで話していたのを拝聴しました。「生き残った人間が悲劇を語り継いでいかなければという責任を感じる」と。
この言葉以外にも、奈良岡さんの過去のインタビューを読むと、「生き残った人間の使命とは何か?」という命題を常に自分に突き付け仕事と向き合ってこられたことが折に触れ感じられます。
ストイックに俳優人生を75年。大御所でありながら葬儀やお別れの会は一切するなと遺言を残していたというのも驚きです。一方で、死んだら発表してほしいと、こんなコメントを残していました。
《新たな旅が始まりました。旅好きの私のことです、未知の世界への旅立ちは何やら心が弾みます。向こうへ着いたらすぐに宇野(重吉)さんを訪ねます。もう一度あの厳しい演出を受けたいと長い間願ってきました。でもね、宇野さん、私はあなたよりずっと長く生きて経験を積んできましたからね、昔のデコじゃないですよ。「デコ、お前ちっとましになったな」と言われたくてこれまで頑張ってきたんですから。腕が鳴ります。杉村(春子)先生とももう一度同じ舞台を踏みたかった。どんな役でもいいからご一緒したい。ワクワクします。両親に挨拶するのは二、三本舞台をやって少し落ち着いてからにします。(中略)これが別れではないですよ。いつかはまたお会いできますからね。それでは一足お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり…》
名優の旅立ちに拍手喝采!