若気の至りというか、女子校という箱庭みたいな世界で思春期を迎えたことで、今思えば、恥ずかしい感情をあらわにして周囲を困惑させたことがあります。
大好きなひとつ上の先輩が、後輩やクラスメートたちと仲良く談笑している場面を見たり、私の知らない約束ごとを交わしてどこかに行った話を人づてに聞いたりすると、ゴゴゴ…と嫉妬の炎が心の中にたきつけられ苦しくなったものです。
どんな人と仲良くしたって、お出かけしたって、私と先輩との間が不仲になるような根拠なんてないのに、話を聞いたり談笑する場面を見たりしては、2人きりになったとき「私といるより楽しそうなんですね! いいですよ、もう、分かりました」と、わざと、しかも意味不明に完結した気持ちを伝えてすねていました。
きっと彼女が「何言ってるの? まったく…」と優しくたしなめてくれるので、それに甘えていたのでしょう。
先輩が卒業して、ボーイフレンドができたと聞いて、本格的に「あ、私が入る隙間はないな」と諦めるまで、「面倒な後輩」として周囲も公認するようなこのような仲良し(?)な調子で生活していましたよ。
後にも先にも、こんなに感情に振り回されて嫉妬心をぶつけ、相手を困らせるリスク(下手したら嫌われる)を省みなかったことはないような。今、彼女に会ったら土下座したい勢いです…。
土下座なんかされても困るだろうから、会ったりはしないと思いますが…。
親愛や友愛、恋愛、家族愛など「愛」が、ちょっとでも気持ちにあれば嫉妬心は大なり小なりくっついてくると思います。上記のような莫大(ばくだい)な嫉妬エネルギーを思春期で使い果たしたせいか、今はわが嫉妬心は落ち着いているとは思います。
が、先日フィクションのマンガを読んでいて、「困った人、悲しむ人の匂いをキャッチし、寄り添いながら話を聞く猫が現れる」というストーリー展開を目の当たりにし、猫のおかげで少しでも救われ前向きになれた人間たちの描写にちょっとだけ嫉妬しました。
「猫と話せて救われてる…、いいなぁ。猫はいるけど、エナジーももらえるけど、私が責任もって守って生活している側だからなぁ」と。まだまだ修業が足りませんね。