尊厳死を巡る政治的動き
秋の衆院選で驚いたことがあります。国民民主党が「尊厳死の法制化」を公約に掲げ、玉木雄一郎代表が言いました。
「社会保障の保険料を下げるためには、われわれは高齢者医療、とくに終末期医療の見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて—」
これまで、尊厳死の法制化を正面から提起した政治家は、私の記憶ではいません。終末期医療の見直しに関しては、かつて麻生太郎副総理(当時)が、そうした患者を「チューブの人間」と呼び、「私は遺書を書いて『そういうことはしてもらう必要はない、さっさと死ぬんだから』と渡してある」と言ったことがありました。発言は猛反発を呼び、撤回をせざるを得なくなりました。
玉木代表の発言が示した課題
麻生氏の考えは間違っていないと私は思います。言い方が乱暴だっただけです。猛反発を浴びたことで、その後、この問題を取り上げる政治家はいなくなりました。
その点で、玉木発言は画期的でしたが、やはりSNSで批判されました。「医療費を抑えるための尊厳死?」「命の選別をしろと?」など…。尊厳死の法制化を医療費削減の文脈で言ったのは間違いでした。
延命治療の現実と課題
SNSに投稿する若い層は、尊厳死が何か、いかに日本の終末期治療、具体的には人工呼吸、人工透析、胃ろうなどが、生かし続けるだけの延命治療になっているケースがあることを知らないのです。
現実を見ればわかりますが長生きは残酷です。とくに延命治療でただ生かされるだけとなると、私には医療の名を借りた「虐待」に見えます。
延命治療が生む社会的矛盾
諸外国ではあり得ない延命治療により、この国には「寝たきり老人」が数百万人も存在します。なかには、「早く死なせて欲しい」と訴える人も数多くいます。療養病棟、あるいは老人施設などで、私は何度こうした訴えを聞いたでしょう。
しかし、その希望を医師が叶えたら、場合によっては「同意殺人罪」(刑法202条)になるのです。延命措置をやめるだけでなく、クスリなどで死亡させる「安楽死」を行えば、間違いなく「殺人罪」です。
尊厳死法制化の進展と壁
こんなことになるのは、家族の「できる限りお願いします」という「丸投げ主義」と、延命治療が大きな収入になる医療側の「商業主義」があるからです。国民皆保険は素晴らしい制度ですが、終末期医療に関しては弊害が大き過ぎます。
尊厳死に関しては、2009年に有罪判決が確定した川崎協同病院の「筋弛緩剤事件」があります。この事件は、気管支喘息発作で入院中の患者の気管内チューブを抜き、筋弛緩剤を投与して窒息死させたというものです。
必要とされる法律と議論
判決には、異例のコメントが付きました。それは、「尊厳死の法的規範がないなか、事後的に非難するのは酷だ」「尊厳死の問題は、国民が合意する法律制定やガイドライン策定が必要だ」の2点です。
しかし、政治は今日まで動いていません。12年、超党派の議員連盟が「尊厳死法案」を公表しましたが、反対の声があがり法案提出には至りませんでした。
終末期医療と自己決定権
厚労省は18年、終末期医療の指針を改定し、患者が医師や家族らと終末期治療について話し合う「アドバンス・ケア・プランニング(人生会議)」を提唱しましたが現在までに根付いているとは思えません。
世界には安楽死を認めている国もあります。尊厳死は、自己決定権という権利の問題です。その法制化は切実かつ喫緊の政治課題なのに、国会では議論すらされません。