休・退職者は全世代に広がり増加傾向
夫が出社できなくなったら、それは妻だけの問題ではなく家族全員の“悩み”になります。メンタルヘルスの不調は病気や事故と同じく、周囲にも大きな影響を与えるのです。メンタルヘルス不調の原因のひとつには更年期による心身の変化もありますが、やはり以上に大きいのは職場環境、人間関係など、職場内の問題です。
2022年の厚生労働省による労働安全衛生調査では、過去1年に仕事や職業生活で強い不安、悩み、ストレスを感じている労働者は8割超。年齢別上位は40~49歳(87.1%)、50~59歳(84.8%)、20~29歳(83%)。やはり、更年期世代ばかりではありません。
ストレスの主な内容では「仕事量(36.3%)」「仕事の失敗・責任の発生(35.9%)」「仕事の質(27.1%)」「対人関係(26.1%)」の順です。こうしたメンタルヘルス不調で、過去1年間に連続1カ月以上休職者がいた事業所の割合は10.6%(前年調査8.8%)。退職者は5.9%(同4.1%)。休職者・退職者とも増加傾向にあります。
「職場や仕事の悩みを相談できる人がいるか」との問いには91.4%が「いる」と回答。相談相手は、男性は上司、同僚、女性は家族、同僚が上位。産業医は8.0%で、実際に相談したのは男性3.0%、女性4.7%とごくわずかです。
産業医誕生の経緯と実情
産業医とは、医師免許に加え、労働者の健康管理などに必要な知識を備え認定された医師を指します。日本では明治・大正期の紡績産業における女工が寄宿舎で集団結核を起こさないため、療養させる目的で工場医が発足したのがルーツです。
1972年の労働安全衛生法で50人以上の従業員がいる会社に選任の義務が定められ、現在全国で約3万人在籍します。産業医制度が法で定められているのは、日本とフランスのみ。フランスでは事業所規模によらず全ての労働者が産業医による健康管理を受けることができ、産業医に強い権限と責務があるのが特徴です。
ヘルスプラント代表で産業医経験が豊富な富田健太郎氏は現状を次のように語ります。
「日本では便宜的に、たとえば事業所の近隣の産業医と契約し、労働基準監督署に報告していることがあります。ただ罰則がゆるく、実際に機能しているかは疑問です」
就業可否を会社側に提言、産業医は重要な立場
会社内の保健室のような場所に産業医が常駐している大きな会社もありますが、大半の企業は契約している産業医が月1、2回、面談に訪れるスタイルで、産業医側も時間的に制約があるそうです。
業務のメーンは体調を崩して休職後の職場復帰を希望する従業員への面談。次がストレスチェックや長時間労働で引っかかった従業員の中で希望する授業員との面談です。
「産業医の視点は、健康か否かだけではなく、適正に働けるかを意識しています。また、がん治療や脳梗塞などの後遺症で、将来的に通常業務が遂行できない可能性がある場合にも介入します」
本来は、非常に重要なポジションなのです。
「産業医は今のご本人の体調と仕事を見極めて、適切に就業するために作業内容や就業場所の変更が必要か、まだ治療が必要かを医学的に判断し、会社に提言していく立場です」
会社側が提案できる選択肢は限られ、本人の適正と合致するのは容易ではないそうです。しかし、それがうまく一致して復帰後、問題なく働いている従業員が増えていくのが産業医の醍醐味でもあります。社員と企業への貢献度は大きいのです。
ストレスチェックの実態
そんな産業医の主な業務内容を以下の通りです。
①傷病で休業後に復帰する際、本人の希望か、あるいは上司の求めにより、復職面談を行う
②社員に実施したストレスチェックの結果、高ストレス判定となった従業員への面談
③上記面談で、該当の従業員が適正に通常就業を継続できる状態か、そのために何が必要かを、医学的な見地で判断する
ストレスチェックは、労働安全衛生法によって50人以上の労働者を抱える事業場で年1回の実施が義務付けられています。ただし、実施しなかったとしても罰則はありません。
しかし、実態は「毎年受けているけど、絶対にひっかかるから、まともに答えたことがない」「夫あてに産業医から毎年封筒が届くけど放置されてる」など、残念ながら機能しているとは言いがたい状況です。
また、一般の人の産業医に対するイメージも、「相談に行ったら、社内に情報が漏れる」「人事評価に悪影響があるのではと心配」などネガティブな意見が多くあります。
今や、どの業界、会社でも個人情報の順守は常識。とはいえ、産業医が来社する日に業務の合間をぬって面談をするのでは、すべてバレバレになってしまう―という声もありました。
産業医は“リストラ担当”ではない
ヘルスプラント代表で産業医の富田健太郎氏は、「産業医に自分から相談を要望される人はわずか数パーセントです。やはり相談しにくいんでしょう。私が目指すのは、働く人がより健康になっていきいき活躍していただくための支援ですが、産業医は敵やリストラ担当のように見られているのが現状です」と肩を落とします。
富田氏は泌尿器科で臨床医経験を積んだのちに専属産業医になった異色の経歴をもちます。しかも、企業内部から従業員のヘルスケアを底上げしたいと願って、企業に人事部の正社員として産業医を兼ねて勤務した経験もあります。
「10年にわたって“人事部の富田さん”として関わる中で、フラットに相談を受けたり、問題がある社員の上司や周囲からのアプローチで早めに面談を行うなどの対応ができたことはメリットでした。外部の契約産業医だと、どうしても壁があります。本当はかなりのストレスを抱えていても出勤している従業員が大多数です。産業医としては、そこにアプローチすることを目指しています」
デジタル機器やアプリ導入でメンタル不調を見つける
一方、従業員のヘルスケアのために、アプリやデジタルデバイスを積極的に導入する企業も増えています。
たとえば「パルスサーベイ」という従業員の健康度やモチベーションを“見える化”する評価制度があります。出社してパソコンを立ち上げると「今朝のあなたの体調どうですか?」といったアンケートに5段階のボタンで回答。また社内アプリで「今朝の調子はどうですか?」といった質問に答える仕組みなどがあり、悪い結果が続くと面談が提案されます。
「産業医が全て診るのは限界があるので、デジタルデバイスやアプリは健康管理の目安としては有効だと思います。今後は、問題を察知したときのフォローやサポート、その先にある他の医療専門職への橋渡しの仕組みをもっと広げていくべきだと思います」
相談しにくい従業員の心身の不調や職場の問題点を様々な手段ですくい上げることが、今後の産業医に期待されています。